【長崎獅子舞の歴史】
長崎獅子舞は、旧長崎村の人々によって伝承されてきた民俗芸能です。
江戸時代末の弘化4(1847)年9月
には行なわれていたということが古文書によって伝承されています。
昭和44年からは、毎年5月の第二日曜日に長崎神社の獅子祭で演じられています。
「長崎神社宝物・御獅子履歴書」によると長崎村五郎窪(地名)の伊佐角兵衛という人が身体健全のお礼のため獅子を彫って奉納したことに始まるという。
以後、並木と五郎窪を宮元として毎年演じられて来た。
享和・文化年間(1801~17)に一時中断したが悪疫が流行したので獅子舞を復 興したところ霊験があらわれて悪疫は鎮まった。
天保10年(1839)には油屋三右衛門という豪商の口利きで尾張公の上覧を仰ぎ葵御紋の高張提灯を賜 わった。
万延・文久年間(1860~63)に再び獅子舞が衰退したところ赤痢が流行した。
そこで獅子を舞って村内を一巡したところ流行は治まったことで病気平癒(びょうきへいゆ)の言われになった。
【長崎獅子舞の伝説】
長崎村五郎窪の伊佐角兵衛という人が晩年、目の病に大変苦労をされていた。
そして長崎神社にお参りをしてから徐々に目の状態が良くなり、お礼に四頭の獅子頭を作製して長崎神社に奉納した。
その中の一頭の獅子頭の出来が良くなかったため、その獅子頭を倉庫にしまって置いた所いつのまにか逃げ出してしまい行方不明に!
それを期に伊佐角兵衛の目の状態が徐々に悪くなっていった。
その後町中の人達が探し回った結果、並木家の庭に獅子頭は隠れており並木家の人が獅子頭を見つけた時、獅子頭は涙を流していた!
その後失明状態だった伊佐角兵衛の目の状態が徐々に回復し四頭の獅子が踊る姿を見ることができた。
以来、獅子と所縁のある並木家が代々獅子舞の伝承役を担う様になった。
今では獅子と目を合わせることで、その力を頂けるという伝説に繋がった!
道行き途中、並木家の庭で喜びの舞。